2006年4月22日 (土)

1973年のピンボール / 村上春樹

1973_pinballb 村上春樹の作品で最初に読んだのが「1973年のピンボール」だった。
タイトルのピンボールという言葉に引かれて手にした一冊であった。
当時の感想というか、読後の印象は不思議な空気を感じた気がしたぐらいであった。
基本的には決別がテーマの話である。
最初に読んだときの俺の年齢は18歳か19歳だったはずである。
年齢的な問題もあったし、自分自身の性格もあったのだろうが熟読はしておらず、表面をなぞっただけである。
だから漠然とした印象が残っただけであった。
数年前に一度読み返したが、この時もそれほど熟読せずに1973年頃の時代の匂いを微かに思い出した程度である。
というのも1973年という年代は僕はまだ11歳の時の時代であり、若干リアリティに欠けていたのだと思う。
しかし、今になると時代の空気とのギャップは埋まりきらないものの、その他の事に関してはリアリティがマッチする部分も多い。
その辺のことは後に記するとして、今回読み直してみて感じた事はまず時代背景である。

実にアナログな印象を受けたのである。
70年代の後半から世の中はデジタルな文化に突入するのである。
この小説の中で、アナログな印象を与えるものは多々有る。
タイプライター、配電盤、レコード、灯台、フォルクスワーゲン、鉛筆といったものを筆頭に、極めつけがピンボールマシーンなのである。
タイプライター、配電盤、レコード、灯台はまさしくデジタルな機器にその座を奪われ過去の遺物である。
フォルクスワーゲン、鉛筆は丸い印象があり、デジタルの角張った感じとは対照的である。
そして、ピンボールマシーンは実にアナログなゲーム機である。
もちろん80年代にもピンボールマシーンはあったが、その機械が醸し出すものが違った。
そのような古き良きアナログ時代の印象が強い。

次に時間の流れ方が今とは違うゆっくりとしたものである。
東京という比較的に時間の流れが速く感じる街が舞台の大半を占めるにも関わらずに時間に余裕を感じる。

この二点を楽しむだけでも充分に読み応えがある小説である。

さて、この小説のテーマは決別ではなかろうか。
死んでしまった彼女である直子への思いがどこかに引っかかっていて、それを断ち切れずにいた僕の思い。
それが、倉庫で再会したピンボールとの会話を通じて自己完結する。
「ハイスコアという美しい思い出を汚したくない」と言ってゲームをせずに立ち去る僕。
立ち去るときはまったく振り返ることもない。
正に踏ん切りがついたのであろう。

この小説はどこか非現実的ではあるが、妙なリアリティもあり引き込まれてしまうのである。
たとえ熟読しなくても、懐かしくほろ苦いアナログな時代に連れていてくれる魅力があるのだ。

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